イタリアを代表するデザイナー、Giorgio Armani(ジョルジオ・アルマーニ)は、ジャケットを再構築し、グレージュを生み出し、メンズ、ウィメンズともにスーツに革命をもたらし“モード界の帝王”と呼ばれています。ジョルジオ・アルマーニのスタイルというのは、今でこそベーシックなスタイルといった印象ですが、それはアルマーニがスタンダードを作り出してきたからに他なりません。 そこで今回は、アルマーニが生み出したスタンダードについてブランドの魅力と共にご紹介していきます。
ジョルジオは母親からもっとも影響を受けていました。しつけにも厳しく、子どもたちを甘やかさなかった彼の母親ですが、戦時中の物のない時代にも軍服やパラシュート生地のコロニアルをうまく使って兄妹の服を作っていました。こうした母親の作った服や、父親がファシスト党員だった影響からきていた制服などが、アルマーニファッションの原点になっているのです。 高校時代のジョルジオもまだファッション業界への道というものは見えていませんでしたが、当時から明らかに他の生徒とは違う美意識を持っていました。他の生徒が親から見繕ってもらった服を着ているときに、折り返しのないズボンやカットソーを着ていて、さらに行きつけのテーラーまであったのです。 こうした美的感覚の片鱗を見せていたにも関わらず、少年アルマーニが志した道は医学でした。この頃の閉鎖的な環境では、医者か弁護士というのが相場だったため進むべき道としては妥当だったかもしれません。しかし、アルマーニは3年のときに退学し、進むべき道が見つからない彼は、とりあえず兵役につくことにしました。
(参照:MAMe, GIORGIO ARMANI, 26 Sep. 2017, https://fashion.mam-e.it/giorgio-armani/)
ジョルジオ・アルマーニのデザイナーとしての最初のキャリアは、ニノ・セルッティの新しく開いたブランド「ヒットマン」でした。リナシェンテの広報部長だったアドリアーナ・ボッティの紹介でヒットマンのアシスタントを探していたニノ・セルッティに紹介され、当時紳士服のプレタポルテという新しい試みに挑戦しようとしていたヒットマンのメンズウェアのデザインに携わることになります。このヒットマンでアルマーニのスタイルであるスーツの内部構造を取り払ったソフトで着心地のいいジャケットを提案し、フォーマルなスーツのイメージを根底から覆すことに成功したのです。
(参照:MAMe, GIORGIO ARMANI, 26 Sep. 2017, https://fashion.mam-e.it/giorgio-armani/)
ジョルジオ・アルマーニの設立に関しては、ある1人の人物が大きな役割を担いました。 それはセルジオ・ガレオッティです。やがて公私共にパートナーとなり、ジョルジオ・アルマーニのデザイン以外の仕事をすべて引き受ける人物です。 アルマーニは8年間をヒットマンで過ごし、すでにヒットマンで表現できることに限界を感じていました。そこにガレオッティが現れ、強烈な熱意と説得によってセルッティのもとを離れ、ミラノに小さなオフィスを構えるに至ったのです。 創業当初から役割分担は明確でガレオッティはマネジメント全般の一切を取り仕切り、アルマーニがデザインやクリエイティブな仕事に没頭するという構図です。ジョルジオ・アルマーニを創業した1975年に開いた最初のメンズコレクション。ヒットマンですでに名声を築いていたアルマーニのコレクションは大成功を収め、さらにその3ヶ月後の初のレディースコレクションでは男女の枠を超えたユニセックスなレディースウェアを発表し、アルマーニの性別を超えた独自のスタイルの原点を垣間見せました。
(参照:MAMe, GIORGIO ARMANI, 26 Sep. 2017, https://fashion.mam-e.it/giorgio-armani/)
アルマーニの仕事というのは、常に完璧で細部にまで全てアルマーニのスタイルが行き届いた完璧なものです。しかし、それは同時に自分だけではなく他者にまで同じレベルの仕事を要求する完璧主義者でもあるのです。アルマーニを表現するときには、他人のミスも絶対に許さない冷淡な人間であると言われます。実際に、アルマーニは人を褒めるということはほとんどありません。これほどまでに厳しい姿勢は、他人だけではなく自分自身にも向けられるので、アルマーニのもとで働くスタッフは彼のことを尊敬し、彼を納得させることだけを考えているといいます。
(参照: LUXURY ABODE, The Brand Story of Giorgio Armani – Luxury Fashion House, 13 May 2020, Hinal Jain, https://www.luxuryabode.com/blog/the-brand-story-of-giorgio-armani–luxury-fashion-house/artid63)
アルマーニは、ファッション業界に対しても批判的な意見を連発する人物です。1980年代のはじめにはファッションショーをミラノの見本市会場から、自社スペースでのショーを開催しました。これには「嫌がらせ」や「気まぐれ」などジャーナリストから多数の批判が寄せられましたが、アルマーニの考えはファッションショー自体が歪んだ物になり、まるで見世物小屋のようになっているという警笛から行ったことでした。過度な演出ばかりに気を取られ、生産の実態にもそぐわない見せかけだけのショーを行うことにうんざりしていたのです。さらにはメディアをファッションショーから締め出すという強行にまで出てしまったのです。 1990年代に入ると自らを「抗議する人間」と呼び、ファッション業界に苦言を呈し続けます。大量消費の渦中でスリッパを作っていた人間がクリエイターになり、仕立て屋はデザイナーと自称する。常に新しいものを嗅ぎ回り、なにか新しいものを見つけると奇跡だ、驚異だと騒ぎ立て、その激しさは日をおうごとに激しくなる。アルマーニは、こういったなんでもありのケバケバしいファッション業界が嫌いだと堂々と言ってのけたのです。
(参照: LUXURY ABODE, The Brand Story of Giorgio Armani – Luxury Fashion House, 13 May 2020, Hinal Jain, https://www.luxuryabode.com/blog/the-brand-story-of-giorgio-armani–luxury-fashion-house/artid63)
アルマーニを代表するアイテムというと、なんといってもジャケットでしょう。ジョルジオ・アルマーニができる前、ジャケットというのはとても堅苦しく、誰が着ても同じように見えてしまう個性の欠片もないようなものでした。アルマーニは、堅苦しさの原因になっている従来の厳格な構造というものを一度すべて解体し、まったく新しい考えでジャケットを作り直すことにしたのです。それがアンコンジャケットの始まりでした。アンコンジャケットとはunconstructed jacket(アンコンストラクテッド・ジャケット)の略で、直訳すると「非・構築的なジャケット」のことです。当時の北イタリアにおいては、ジャケットに肩パッドや芯などを使い身体のラインをカッチリと構築するクラシックなジャケットが主流でした。アンコンジャケットはそのような資材を取り除くことで、より体のラインが柔らかくセクシーに映えるジャケットのことを指します。一枚の布を男性の体にかけ、より自由に動きやすくするために試行錯誤を繰り返し、個性的で自分らしい装いというものを作り上げました。この新しい考え方は時代に受け入れられ、とくに俳優やアーティストといったファッションの先端をいく人々から支持されることで、大きく飛躍したのです。身体へのフィット感、柔らかさ、ゆるやかなエレガンスといったアルマーニのスタイルは、あらゆる規制や規則を拒んだ自由なヒッピースタイルと堅苦しいスーツスタイルを足して2で割ったようなものでした。肩が落ち、ボタンの位置も低くなり、ラベルの幅が狭められ、カッティングやプロポーション、ボリューム感も変化しました。つまり今あるジャケットというのは、ジョルジオ・アルマーニの存在なくしては、存在しないようなものだったのです。
(参照: Martin Roll, Giorgio Armani – The Iconic Global Fashion Brand, Nov. 2020, https://martinroll.com/resources/articles/branding/giorgio-armani-the-iconic-fashion-brand/)
アルマーニというとメンズファッションの印象が強いですが、改革をしたのは何もメンズだけではありません。アルマーニの本当の改革はレディースファッションにこそあると言ったほうがいいでしょう。ヒットマン時代はメンズウェアのデザインだけをしていましたが、ジョルジオ・アルマーニを立ち上げて最初のコレクションの3ヶ月後にはレディースコレクションも発表しています。そのコレクションでは、女性にジャケットを着せ、男性的なラインでレディースファッションに威厳を与えました。そして、次のコレクションでは、ツイードのレディーススーツを発表し、男性的なジャケットにブリーツスカートを合わせるという大胆な発想で性別の壁を取り払うコレクションを展開していったのです。 こうしたアルマーニのスタイルは1980年代のバブル期に入っても終始一貫しており、まわりがボディコンに代表されるようなケバケバしいセクシーを強調するような時代にあっても厳格で端正なスタイルを守り続けました。 アルマーニのレディースファッションに対するスタイルは、見た目だけの軽薄なものではなく、常に女性を守るための洗練された解釈で表現しているのです。 今では女性がスーツをきること、ジャケットを着ることは当たり前になっていますが、こうしたスタイルももとを正せばアルマーニが提唱した性別を超えたファッションスタイルに由来するということになります。
(参照: Martin Roll, Giorgio Armani – The Iconic Global Fashion Brand, Nov. 2020, https://martinroll.com/resources/articles/branding/giorgio-armani-the-iconic-fashion-brand/)
アルマーニのスタイルというのは基本的に引き算のプロセスです。余計な物を取り除き、その上で改良を重ねていく。そして、常に自身のスタイルに絶対の自信とプライドを持って信念を曲げないことでタイムレスなスタイルを作り上げてきました。 余り意識することはありませんが、現在のスタンダードはアルマーニが築き上げたものがとても多く、アルマーニが『モードの帝王』と呼ばれる所以がそこにあるのです。
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