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ファッションデザイナーのソニア・リキエル(Sonia Rykiel)は1930年 フランス、パリに生まれました。趣味で服作りを始め、夫が経営するブティック「ローラ(Laura)」のために服をデザインしたところ好評となり、1968年にパリ・サンジェルマンデプレにブティックをオープン。普段着であったニットを、エレガントなモード服に昇華させ、1970年には米WWD誌が彼女のことを「ニットの女王」と名付けました。ウイメンズウエアだけでなく、子供服や香水、ホームウエアなど幅広くビジネスを展開。83年にはファッション界での功績が認められ、フランス文化省から芸術文化勲章が授与された。「ニットの女王」と称されていた通り、Sonia Rykielは多くのニットをデザインしましたが、中でも多くの著名人にも愛されたブランドを象徴するのが、“The Poor Boy Sweater”と呼ばれるニットです。今回はファッション界のニットの女王がデザインしたニット、“The Poor Boy Sweater”について、そして彼女のブランドSONIA RYKIELについてご紹介します。
創設者ソニア・リキエル(Sonia Rykiel)は、1930年、フランス・パリ生まれ。1962年、妊娠中に夫のブティック「ローラ」のために、ニットとマタニティドレスを作り、これが彼女の初コレクションとなりました。1966年SONIA RYKIELを設立し、1966年にパリのサンジェルマン・デュ・プレに自身のブティックをオープンします。主に普段着に使用されていたジャージー素材をモードの素材へと変容させ、エレガント且つ遊び心のあるニットを作り続けました。その貢献からWWDによって「ニットの女王」と称され、88年にはメンズコレクションを発表しました。その後、SONIA RYKIELは子供服、フレグランス、コスメやアクセサリーにもビジネスを広げました。SONIA RIKIELは、フランス文化省から勲章を3度授与されました。ファッション以外にも、子供向けのお伽話、小説「赤い唇」、ファッション哲学を語った「裸で生きたい」、「ソニア リキエルのパリ散歩」、その他自伝の執筆など作家としてもその才能を発揮しました。2007年、SONIA RYKIELでチーフアシスタントをしていたガブリエレ・グライス(Gabrielle Greiss)がクリエイティブ・ディレクターに就任します。2009年、ガブリエレ・グライスが辞任し、その後ソニア自身と娘ナタリー・リキエルがブランドを率いていましたが、2011年に新クリエイティブディレクターとしてエイプリル・クライトンが任命されました。2012年には、経営難からファースト・ヘリテージ・ブランズ社と提携し、ビジネス面において全面的な組織再編を実施します。その後2014年には、アーティスティック・ディレクターに、マーク ジェイコブスの右腕として、ルイ・ヴィトンのウイメンズウェア、プレタポルテのクリエイティブディレクターを担当していたジュリー・ドゥ・リブラン(Julie de Libran)が就任しました。2016年8月、メゾンの創始者であるSonia Rykielが他界しました。彼女の死後、会社の経営は更に悪化し、2019年ブランドSONIA RYKIELが終了、そして経営不振のため破産しました。一時は会社の新たな買手が見つからず、ブランド消滅の危機にありましたが、2019年にファッションECサイト「ショールームプリヴェ」の創業者、ダイヨン兄弟がブランドを買収し、ECブランドとしてSONIA RYKIELは復活しました。
(参照:Hypotheses, Sonia Rykiel (1930-2016), A Fashion Revolutionary, by Maude Bass-Krueger, SOPHIE KURKDJIAN, 25/08/2016 https://histoiredemode.hypotheses.org/3722)
“私は誰のものとも似ていない唯一のニットが欲しかったの、だからニットをデザインし始めたの。” By Sonia Rykiel
(出典:crfashionbook, SONIA RYKIEL MUSES THROUGHOUT HISTORY, VIENNA VERNOSE, MAY 24, 2019 https://www.crfashionbook.com/fashion/g27555938/sonia-rykiel-muses-throughout-history/?slide=1)
Sonia Rykielが積極的に彼女のコレクションにウール素材を使用する以前は、ウールは部屋着のような動きやすく快適な洋服を作るのにはしばしば使われていましたが、洗練された洋服に使われるような魅力的な素材とは見なされていませんでした。Sonia Rykielは自身のコレクションのニットウェアを通して、それまで粗悪だと見なされていたウール素材は身体に動きの自由を与え、また色やデザイン、刺繍、ラインストーンなどの装飾を加える事によって、クリエイティブなスタイルを洋服に与える事のできる優れた原料である事を見せつけたのです。Sonia Rykielがニットの女王の称号を得るきっかけとなったのが、彼女がデザインしたSONIA RYKIELの最も象徴的なニット“The Poor Boy Sweater”(貧しい少年のセーター)と呼ばれるセーターです。このニットは細身で身体にぴったり沿ったフォルムのストライプ柄のセーターで、Sonia Rykielがこのセーターを発表後、当時19歳であったフランソワーズハーディが着用してエルの表紙を飾り、洗練された、そして反抗的でどこか少年のようなやんちゃなスタイルを作る重要なアイテムの一つとなり、女性にとっての自由とエレガンスの象徴になりました。オードリー・ヘプバーン、カトリーヌ・ドヌーヴ、ブリジット・バルドー、ローレン・バコールなどの数多くの女性有名人たちをも、SONIA RYKIEL の‘The Poor Boy Sweater’ は魅了しました。そしてECブランドとして再スタートを果たした後の2021年のSONIA RYKIELのコレクションのメインアイテムとして、リデザインされた‘The Poor Boy Sweater’を見ることができます。
(参照:allure, How Sonia Rykiel Shaped Women’s Fashion, KRISTEN BATEMAN, August 25, 2016 https://www.allure.com/story/sonia-rykiel-iconic-fashion-moments)
経営難から2012年にシンガポールの投資会社ファーストヘリテージブランズの傘下に入り、グローバル戦略を軸に立て直しが計られましたが、2018年に3000万ユーロの損失を抱え2019年5月に再建型破産手続きを申請しました。フランスの伝統あるメゾンが海外の投資会社に渡り最終的に倒産したこの事実は、フランス国内に大きな衝撃をもたらしました。同月末をめどに売却先を探したにも関わらず、十分な買収案が提示されずに期日が2度延長されましたが、医薬品と不動産を営む企業による最後の提案が25日に却下されました。創業者Sonia Rykielの死去から3年、パリ・サンジェルマンデプレを象徴してきたフランスのファッションブランドが姿を消すと誰もが考えていました。しかしその後、ECサイト「ショールーム・プリヴェ」を運営するダイヨン兄弟によりSONIA RYKIELは買収されることが決まりました。ダイヨン兄弟は、欧州8カ国で展開する会員制の大手ファッションECサイト「ショールーム・プリヴェ」(年商6億5000万 ユーロ )の共同創業者で、2017年に同社の取締役会に籍を置き独立、SONIA RYKIELの香水も含めたブランド名、アーカイブなどの知的財産、在庫、アイウェア、キッズ、インテリア用品のライセンスを推定額1000万ユーロ で買収しました。ダイヨン兄弟は声明の中で、“ファッションとデジタルの分野における専門知識と確かなノウハウで、フランスの財産であるソニア・リキエルを仏国内だけでなくグローバルに輝かせる”と強調しました。
(出典:繊研新聞社、「ソニア・リキエル」が来年復活 2019/12/19、https://senken.co.jp/posts/soniarykiel-191219)
パリ・サンジェルマンデプレのシンボルとして愛されてきたソニア・リキエル。清算に至ったのは、顧客層の高年齢化、グローバル展開とデジタル化の遅れと指摘されてきました。EC界の新経営者ダイヨン兄弟は、まさにこの弱点から68年創業のパリブランドを蘇らせ、若者層を対象にブランドのリポジショニングを目指しています。2020年夏に立ち上げた新しいウェブサイトでは、在庫からウェアやバッグのビンテージピースを販売しました。21年にはThe Poor Boy Sweaterに代表されるボーダー、ラインストーン、アイコニックなニットなど同メゾンのDNAから最新コレクションを発表しました。生産はフランス、イタリア、ポルトガルで行う予定で、その後はビューティーとインテリアへさらにカテゴリーを広げ、路面店開設も視野に入れていく計画です。新サイトの立ち上げ前の助走として、若者層をターゲットに立ち上げたインスタグラムは、すでにフォロワーが45万人を超えています。
(参照:繊研新聞社、「ソニア・リキエル」清算が決定 売却先見つからず、https://senken.co.jp/posts/soniarykiel-190727)
Sonia Rykiel のデザイナーとしての革新的なデザインアイディアは今も生き続けています。彼女によって開拓された独創的で洗練されたまさに彼女自身のようなそのスタイルは、単に一時代のトレンドになっただけではなく、私たちの定番のワードローブの中に見ることができます。Sonia Rykiel は2016年に86歳で亡くなり、2019年にブランドは一旦終息し、2020年にはECブランドとして新たに始動しました。彼女の創造性やデザイン、思想は遺産としてファッション業界に永遠に影響を与え続けるでしょう。その証に、パリの街にはニットの女王を愛する人々によって名づけられた彼女の名前の通り‘Allée Sonia Rykiel’(ソニア・リキエル通り)があります。
(参照:Ciao Amore, The Legacy og Sonia Rykiel http://ciaoamore.co/sonia-rykiel-fashion-legacy/)
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