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ラグジュアリーブランドの魅力|クチュリエ Azzedine Alaiaの女性を最も美しく見せるドレス (アズディン・アライア)

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80年代にエディター、アーティスト、モデルになどに絶大な支持を受けて、ファッション界に一大ブームを巻き起こしたボディコンシャスドレスの生みの親と言われているのが、フランスのファッションブランドALAÏAの創業者Azzedine Alaia (アズディン・アライア)です。ボディコンシャス・スタイルは、服に身体を押し込む事によってシルエットを形成する手法とはまったく逆の発想で、服を女性のボディーラインを際立たせるためのアイテムと捉えるコンセプトのもと、余計な装飾を排除し、女性の身体の美しいラインを自然に強調するものであり、体に寸分もなくフィットさせるものでした。スポーツウェアのような着心地で、女性の第二の肌とも表現されていました。その影響は日本にも渡り、ボディコン・スーツやドレスを身にまとった女性たちが急増し、ディスコ、ボディコンという言葉に代表されるような現象を巻き起こしました。今回はそのボディコンシャスドレスがどのようにして作り出されたのか、そしてその製作者であるクチュリエと呼ばれたデザイナーAzzedine Alaiaについてご紹介していきます。

(参照:ALAÏA, https://www.maison-alaia.com/it)

アズディン・アライアの魅力

モード界に革命を起こした男Azzedine Alaia (アズディン・アライア)

ショーよりも服そのものを大切にする実直な服作り|Azzedine Alaia (アズディン・アライア)

チュニジアの小麦農家の息子として生まれたAzzedine Alaiaは、チュニスのエコール・デ・ボザールで彫刻を学び、婦人服の仕立て屋でアシスタントとして働いたあと、1957年にパリへと渡りました。一時的にクリスチャン・ディオールでタイユール(裁縫師)として働き、1970年代後期から自身のコレクションを立ち上げるまでは、マリー・エレーヌ・ドゥ・ロスチャイルドやグレタ・ガルボといった完璧なスタイルをもつレディたちに、ベルシャス通りにある小さなアパルトマンでカスタムメイドの服を作っていました。その後80年に初の既製服を発表し、エル誌などで大絶賛され「アライア・ブーム」が起きました。早くからナオミ・キャンベルらを起用し、スーパーモデルブームの火付け役にもなりました。伝統的な形や理念に縛られずに、余計な装飾を省いてシンプルな色と形で表現する手法によって、前衛派の旗手とも評されていました。90年代半ばにパリコレクションなどの第一線から退き、顧客のための服作りを中心に据えました。その時のことをAzzedine Alaiaは、”ショーの数が増え過ぎて、服作りのリズムも速くなり過ぎていると感じた”と語っています。彼にとって大事なのは、見せるためのショーよりも服そのもので、”このスピードでは、創造性を維持して高めていけるとはとても思えなかった”とも語っています。半年に1度という通常のサイクルではなく、新作がある程度完成したら随時見せるというやり方に切り替えたのです。広告は一切出さず、作品に大きな目立つロゴもつけていませんでした。これらのことからも彼の作品作りへの情熱や実直さを見ることができます。

(参照: the thread, Azzedine Alaia: Following Female Forms, 02 13 2020, Rosie Lesso, https://blog.fabrics-store.com/2020/02/13/azzedine-alaia-following-female-forms/)

稀代のクチュリエ|Azzedine Alaia

Azzedine Alaiaほどのトップレベルのデザイナーで、2017年に亡くなるまで生涯自分で服のパターンをカットしたり、サンプルを縫ったりフィッティングをしたりしている人はほとんどいません。彼はデザイナーでありながら、決して自らの手で針と糸を使うことを止めなかったクチュリエ※としての顔も持っていました。彼は生地の重さと作品のバランスをうまく操る達人で、それをどう作品に落とし込むかがそれぞれの服の出来栄えを左右しました。彼が発表する作品は他のデザイナーに比べると、非常に数が限られていましたが、十分なリサーチと考慮がなされ、一つ一つの服が優れた技で作られていました。他のラグジュアリーブランドが次々にコレクションを大量生産し、飽和状態の業界にあって、彼は知性ある例外だったのです。

彼にとって、ファッションとは細部に至るまで正確に築き上げるものでしたが、最終的なゴールは自分の作品で女性自身を神々しいほど美しく見せることにありました。アライアは真のクチュリエで、夜2時間以上眠ることは稀でした。しかし、チームの存在の大切さも熟知していて、実際、彼が決してショーの終わりに挨拶に出てこないのには理由があり、Vanity Fair誌に次のように語ったことがあります。“私はピエロになりたくないのです。自分だけが賞賛を受けるのは私を助けてくれた多くの人たちに対して失礼です。”(出典:BAZAAR, 6 WAYS AZZEDINE ALAÏA CHANGED THE FASHION LANDSCAPE AS WE KNOW IT, 2017/11/25,https://www.harpersbazaar.com/jp/fashion/fashion-column/a91661/f6-6-ways-azzedine-alaia-changed-the-fashion-landscape-as-we-know-it-171125-lift1/) この言葉からもわかるように、彼は仕事や食事を共にし、共に作品作りに向き合うチームや作品に関わった人々に常に尊敬の念を持っていました。

(参照 :BAZAAR, 6 WAYS AZZEDINE ALAÏA CHANGED THE FASHION LANDSCAPE AS WE KNOW IT, 2017/11/25, https://www.harpersbazaar.com/jp/fashion/fashion-column/a91661/f6-6-ways-azzedine-alaia-changed-the-fashion-landscape-as-we-know-it-171125-lift1/)

※クチュリエ(couturier)とは…フランス語で男性の裁断師のことを指す。特に、パリのオートクチュール組合に加盟する高級服飾店のデザイナーの総称として用いることが多い。デザイン、裁断、縫製、営業宣伝活動に至るまでメゾンのデザイン責任者として全てを統括する。

ラグジュアリーブランド

King of Cling(キング・オブ・クリング)と呼ばれたAzzedine Alaiaの残したドレス

女性の身体曲線に完璧に沿うドレス|Azzedine Alaia (アズディン・アライア)

Azzedine Alaiaは、女性のボディに合わせてデザインし、その形に服を合わせて作っていました。彫刻家の修業をしていたこともあり、ロダン級のレベルの職人技で服を造形し、実際に女性が着たときにもその服の見え方が崩れることはなく、フレアなシェイプでピタッとフィットし、絞ったウエストが特徴でした。ギリシャ神話のアマゾンをインスピレーション源に、彼の作品は女性らしさに対する先入観にチャレンジするものだったのです。

彼が登場する前のルースなフィッティングやソフトなシェイプから遠く離れ、後のボディコンドレスのシルエットを発明しました。女性が最も素敵に見え、着用する女性自身がそう感じられる服をデザインしました。印象的な効果を出すためにタックを入れ、強く締め、なめらかに整えたのです。実際に、”アライアのドレスほど女性を素敵に見せ、感じさせる服はないわ。だって女性のボディをパーフェクトにつかんでいるんですもの”と、アライアを16歳の時から知っているナオミ・キャンベルは彼について言っています。

(参照 :BAZAAR, 6 WAYS AZZEDINE ALAÏA CHANGED THE FASHION LANDSCAPE AS WE KNOW IT, 2017/11/25, https://www.harpersbazaar.com/jp/fashion/fashion-column/a91661/f6-6-ways-azzedine-alaia-changed-the-fashion-landscape-as-we-know-it-171125-lift1/)

新たな素材への探求|Azzedine Alaia (アズディン・アライア)

彼の残したドレスの美しさを引き立てたのは、その女性の身体にぴったりと沿った形だけでなく、彼の探求した素材にもありました。彼はジャージー素材やシフォン、ファーなどに至るまで様々な素材を探求していましたが、中でも彼の革の使い方は革新的でした。彼が衣服に使用する以前は、革という素材を使用した衣服は革ジャンやレザーのパンツなどに見られるように、どこか社会に対して反逆的な印象や性的な印象を与えがちでした。しかしAzzedine Alaiaはその革を使って多くの作品を制作し、革が最高の女性の優雅さを引き出すことのできる衣服制作の素材であることを証明して見せたのです。彼の作品で、最初に世界的な注目を集めた革を使用した衣服が、1981年に発表されたアイレットと呼ばれる金属製のはと目飾りが散りばめられたエレガントな革のコートでした。このコートは優雅でありながらエッジの効いている、ハードエッジというスタイルを定義づけるものとなりました。

Azzedine Alaiaは彼のキャリアを通して、新たな素材に挑戦しつつも、いつも革という素材に立ち戻り作品を作り続けました。彼は革という素材に常に新しい可能性を見出し、ある時は革にシフォンのような流動性を吹き込み、優雅に空気を纏うレザースカートやブラトップ、ボディコンドレス、コルセット、アクセサリーなど、それまでは革で作るには不向きと言われていたものを作るのに革を使用しました。Azzedine Alaiaは革を衣服に使用する際に、アイレットやスタッズのような金属のディテールと組み合わせて作品を作っていました。それらは衣服というよりも、むしろ彼が情熱的に崇拝していた工業デザインの一つのオブジェクトのような佇まいすらもっていました。

Azzedine Alaiaのファッション業界への影響

多くのトップデザイナーにインスピレーションを与えたAzzedine Alaiaのクリエイション

ファッション業界内でのAzzedine Alaiaの影響は今や至る所に見られ、シグネチャーのボディコンドレスや、柔らかく複雑な模様を施した革、彫刻的なまちの差し込み、レオパード柄、フィットしてフレアなシルエットなどを毎シーズンどこかで目にします。ルイ・ヴイトンのニコラ・ジェスキエールからエルベ・レジェやリカルド・ティッシまで、ファッション界は常に彼の作品、クリエイティビティから何かを借りて、再解釈、再構築を行っているのです。

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