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ラグジュアリーブランドの魅力|Diorファンタジーを紡ぐクチュリエによるオートクチュール(ディオール)

Dior

ファッションの夢であるオートクチュール。その歴史は19世紀にまで遡り、多くの貴族やセレブリティを魅了してきました。オートクチュールを手がけるクチュリエは、アーティストであり、表現を探る場はアトリエで、クチュリエはそこで技術や素材、フォルムの可能性を無限に広げていくのです。そして、その表現の発表の場が一年に二度行われるオートクチュールショーです。今回は、そんなオートクチュール・メゾンの最高峰の一つ「ディオール(DIOR)」のオートクチュールについて、その歴史から最新コレクションまで見ていきたいと思います。

ファッションの最高峰、オートクチュールとは?

選ばれた人々によって作られる、選ばれた人へのピース、オートクチュール

19世紀にパリで誕生したオートクチュールは、常に最高級でなければならない、最も手の込んだファッションとしてその地位を確立してきました。デザイナー、縫製、伝統的な技術の訓練を受けた職人のチームが手がけるコレクションピースは、最初から最後まで人の手によって丁寧に途方もない時間をかけ、着る人の体型に合わせて作られます。パリ・クチュール組合で認められたメゾン(ブランド)のみが、オートクチュールとして名乗ることを許されており、オートクチュールが誕生した当初の1937年のオートクチュール組合会員メゾン数は70でしたが、現在では15となっています。クチュールドレスの最低価格は9000ユーロ(=約120万円、1ユーロ=136円(2021年6月))と言われています。しかし、高額であるにも関わらず、クチュールは売り上げを重視したビジネスとは見なされていません。実際、多くの有名メゾンのクチュール部門は赤字で、利益を生み出しやすいパフューム、コスメティック製品、レザーグッズなどの宣伝費用として用いられているのです。メゾンにとってオートクチュールの継続は、利益を上げるためではなく、生地や職人の技術の質の維持のために行われているのです。

オートクチュールの選ばれた顧客たち

約100年前に、パリのオートクチュールファッションビジネスを支えていたヨーロッパの上流階級の人たちや、ヌーボー・リッシュ(成金)のアメリカ人たちと比べると、現在の顧客の年齢層はぐんと若くなり、より幅広い地域へと変化しています。近年、クチュリエたちは中東、ロシア、中国、韓国、ブラジルからの新規顧客を大勢迎えています。ディオールはある上顧客から依頼を受け、華美な装飾を施したドレスの製作に約1年を費やし、その顧客がドレスを作る際に行った試着回数は10回にも及んだと言われています。通常、ランウェイモデルが着用したシンプルなピースをベースにする場合、必要な試着回数は2~3回で、多くの顧客は試着のために何度もパリに行かなくて済むように、自分と同じサイズのマネキンを作っているといいます。シンプルなクチュールピースを完成させるために費やす平均時間は200時間、刺繍や装飾を施したクチュールピースを完成させるために費やす平均時間は1,000時間、さらに特別華美な装飾を施したクチュールピースを完成させるためには6,000時間が必要であると言われています。クチュールピースの価格やその制作時間からもオートクチュールがいかに特別なものであるかを知ることができます。

(参考:VOGUE JAPAN, 数字で紐解くオートクチュール入門、https://www.vogue.co.jp/collection/trends/2017-07-03

ディオール

ディオールのオートクチュールの歴史

クリスチャン・ディオール、ベル・エポックとアヴァンギャルドを融合させたデザイナー|Dior(ディオール)

1905年、フランス・グランヴィルのブルジョワ階級に生まれたクリスチャン・ディオールは、ベル・エポック時代(19世紀末から第一次世界大戦前までの煌びやかなパリが栄えた時代)やオリエンタルの調度品で飾られた甘美な邸宅で育ち、小さな頃からコスチューム作り、ガーデニング、アートやピアノなど美しいものに熱中します。 第一次世界大戦を経て15歳から20歳までの間、ディオールはパリ政治学院で学んでいました。その頃のパリは世界中の知識人や文化人で溢れかえり、ピカソラディゲコクトーサティローランサンなどの芸術家たちが夜な夜なナイトクラブに集いました。ディオールもそんなアヴァンギャルドな人々と交流し、幼少期に培った瀟洒(しょうしゃ)なブルジョワ文化にアヴァンギャルドなセンスを融合させて独特の美的感覚を磨きます。

(参照:GRAZIA, THE HOUSE OF DIOR: 70 YEARS OF HAUTE COUTURE CULMINATES IN AN EXTRAORDINARY EXHIBITION, Nicholas Carolan, https://graziamagazine.com/articles/house-of-dior-seventy-years-of-haute-couture-review-ngv/)

パリのオートクチュールを蘇らせたディオールのニュー・ルック革命|Dior(ディオール)

私は、女性の体の曲線に沿ってかたどり、輪郭を様式化し、ウェストと腰の幅を強調し、バストを目立たせることで、自分のドレスを“構築”したかった”と語ったディオール(『クリスチャン・ディオール』マリー・フランス・ポシェナ著)。第二次世界大戦前はギャラリーを経営し、戦争から帰還したディオールは自身のメゾンを立ち上げ、1947年にファッションの歴史を変えたオートクチュールコレクション、ニュー・ルックを発表しました。 1910年代以降、ポアレやシャネルが窮屈な洋服から女性を解放し、直線的な洋服が主流になっていました。また、第二次世界大戦中は、布不足のせいで女性の洋服はくすんだミリタリールックが主流となっていました。そんな中、シルク、刺繍やチュールを贅沢に使いウェストをギュッと絞ってスカートをふくらませたディオールのデビューオートクチュールコレクションは、女性達にセンセーションを巻き起こし、ニュー・ルックと呼ばれました。実はニュー・ルックにはファッション以上の役割がありました。それは、第二次世界大戦で落ちぶれたパリの復興です。大戦前のモードの発信地はパリでしたが、戦時中は戦火に燃えるパリからニューヨークへとモードは移っていたのです。経済活性化のため、戦後のフランス産業界はモードの都としてパリを復活させようと計画し、ディオールと共に、パリのオートクチュールの伝統を蘇らせ職人仕事を再生することを決意します。ディオールは当時“木綿王”と呼ばれた繊維業界の富豪、マルセル・ブサックから投資をうけ、結果ニュー・ルックを世界中で大流行させることに成功し、モードをパリのオートクチュールに取り戻しました。

(参照:GRAZIA, THE HOUSE OF DIOR: 70 YEARS OF HAUTE COUTURE CULMINATES IN AN EXTRAORDINARY EXHIBITION, Nicholas Carolan, https://graziamagazine.com/articles/house-of-dior-seventy-years-of-haute-couture-review-ngv/)

ディオールのオートクチュールを引き継いだ6人のデザイナー|Dior(ディオール)

ディオールは、1957年、メゾン創設から10年後にイタリアの保養地で、心臓発作のため52歳の若さで亡くなりました。その後、メゾンを継いだのは弱冠21歳の若きイヴ・サン=ローランでした。いまやモードの帝王と呼ばれているサン=ローランは、ディオールに出会ったときにもすでに才能を高く評価されていたといいます。彼の死後、先輩デザイナーを押しのけて主任デザイナーとなったサン=ローランは、台形のスカートを特徴とするトラペーズラインのオートクチュールコレクションを発表、「Christian Diorの名は守られた」と翌日の新聞で喝采を浴びました。サン=ローランが徴兵制で退職した後は、30年にわたってマルク・ボアンが引き継ぎ、Christian Dior社に長期の安定をもたらしました。彼のもと、Baby Dior、Dior hommeと子供用、男性用ラインがつくられ、1989年にジャンフランコ・フェレに交代します。次いでジョン・ガリアーノが就任し、15年間、彼特有の斬新さとディオールの伝統を折衷したオートクチュール作品をつくり続け、人々を魅了しました。その後、ミニマルなスタイルを特徴とするベルギー出身のラフ・シモンズが務め、2016年に現アート・ディレクターのマリア・グラツィア・キウリと交代しました。クリスチャン・ディオールの死後、6名の後継者がブランドのスタイルを引き継ぎ、世の中にディオールとしてのオートクチュール作品を送り続けてきました。ディオールが築き上げた女性のエレガンス像を見事に引き継ぎながらも、独自のスパイスを融合させて現在のディオールのオートクチュールスタイルへと発展していったのです。

(参照:artscape, 【パリ】70年の歴史を俯瞰する初の大回顧展「Christian Dior──Couturier du Rêve」, https://artscape.jp/focus/10139693_1635.html)

アパレル転職

ディオールの2021年春夏オートクチュールコレクションにみるオートクチュールの夢

タロットカードの神秘的な世界|Dior 2021年春夏オートクチュールコレクション

2021年春夏オートクチュールコレクションでは、タロットカードの神秘的な世界が表現されています。占星術やタロットなど、運命の兆しを大切にしていたという創設者のクリスチャン・ディオール。現クリエイティブ ディレクターのマリア・グラツィア・キウリが手がけるコレクションにおいても、占いやタロットがメゾンのコードとして息づいています。今回、イタロ・カルヴィーノの小説『The Castle of Crossed Destinies (宿命の交わる城)』にインスピレーションを得て製作されたというフィルムでは、タロットカードを引いた一人の女性が、占いに導かれ城のなかを冒険するようにストーリーが進行します。コレクションピースには、クチュリエの緻密な技巧に圧倒されるドレスが多数登場しており、どれもフィルムの世界観にマッチした、絶妙な古色感が印象的です。

手で描かれたザクロの花のレースガウン|Dior 2021年春夏オートクチュールコレクション

フィルムのなかで主人公の女性が纏っていた、印象的なザクロの花が描かれたガウン。このガウンは、18世紀に用いられていた「ラッカポヴェラ」という技法を用いて製作されています。「ラッカポヴェラ」とは、家具にあしらわれる漆塗りを、彫版を使って真似るというもの。着色はすべて職人による手作業でなされ、各パーツを熱で接着、刺繍をしてさらにペインティングをしてつくり上げられたガウンは、コレクションフィルムの中でも圧巻の存在感を誇ります。

ゴールドカラーのアイコンドレス「Miss Dior (ミス ディオール)」|Dior 2021年春夏オートクチュールコレクション

メゾンのアイコニックなドレス「Miss Dior (ミス ディオール)」のゴールドカラーを纏ったルックも印象的です。コルセット風のコンパクトなトップに、ワイヤーメッシュと花モチーフをあしらったドレスが組み合わされています。熟練のクチュリエによって一つ一つ丁寧につくられたさまざまな形の花モチーフを立体的にあしらうことで、躍動感のある表情にしています。ゴールドラメでありながらマット感のある絶妙なカラーが、神秘的な世界観をより際立てています。

(参照:DIOR, COLLEZIONE HAUTE COUTURE PRIMAVERA-ESTATE 2021, https://www.dior.com/it_it/moda-donna/sfilate-haute-couture/collezione-haute-couture-primavera-estate-2021)

まとめ

オートクチュールとはファッションのルーツであり、ディオールを含めたそれぞれのメゾンのスタイルや歴史、技術のすべてを、トレンドや商業的な制約を取り払って惜しみなく表現した最高峰のファッションです。中でもディオールの伝統的で繊細な職人技と、メゾンのアイデンティティを引き継ぐデザイナーの革新的なアイディアで作られる最高峰の芸術作品、オートクチュールピースは、時代を超えて今も人々にファッションの夢を見させてくれるのです。

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