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ラグジュアリーブランドの魅力|Salvatore Ferragamo 天性の靴職人の靴 (サルヴァトーレ・フェラガモ)

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今では靴だけではなく、トータルファッションのコレクションを発表しているSalvatore Ferragamoですが、サルヴァトーレ亡き後も彼の靴作りへのこだわりや情熱は受け継がれ、今もブランドSalvatore Ferragamoの中に生き続けています。今回は、そんなサルヴァトーレが情熱を注いだ彼の作った靴に焦点を当てていきます。

Salvatore Ferragamoの原点❘サルヴァトーレ・フェラガモ

9歳にして靴をつくり、11歳で開業をした ❘サルヴァトーレ・フェラガモ

今やイタリアを代表するラグジュアリーブランドとして、世界的にその地位を確立したSalvatore Ferragamo (サルヴァトーレ・フェラガモ)。創業者で天才的な靴職人でもあったサルヴァトーレ・フェラガモは、1898年にイタリア南部のカンパニア州に大家族の14人中11番目の子供として生まれました。9歳にして、妹のために教会の洗礼式に履く靴を作ったのが靴職人としての始まりだと言われており、11歳の時には自宅で靴屋を開業します。

瞬く間に人気を集めたサルヴァトーレ・フェラガモ

そして15歳の時に、兄がアメリカのブーツ工場で働いていたこともあり、その兄を頼りアメリカに渡ります。彼が手がける靴は、ハリウッドスターたちの評判を集め、映画の衣装としての靴を手がけたり、ハリウッドの名優たちを顧客にしたりと、人気を博します。また、履きやすさを追求するため、地元の南カルフォルニア大学で人体解剖学を学び、1925年には、歩行の際に足の裏の土踏まずに体重がかかる事を発見し、足を痛めず履きやすさなどの機能性を持った画期的な靴型を作りました。

このように、靴づくりの人生を歩んだサルヴァトーレ・フェラガモ。このあと、さらに詳しく、幼少期からの活躍とSalvatore Ferragamoの魅力を深堀していきましょう。

フェラガモの魅力

天性の靴職人サルヴァトーレ・フェラガモ

靴作りへの天才的な才能を見せつけた少年時代とは ❘サルヴァトーレ・フェラガモ

サルヴァトーレ・フェラガモの初めての靴作りはわずか9歳の時だったと言われています。彼は自分が前世は靴作りの職人であり、その知識を持ったまま生まれ変わったと思っているほど、その才能は幼い頃から類を見ないものだったのです。 サルヴァトーレが9歳の時、一家は貧乏だったために妹の洗礼式に履く白い靴が買えませんでした。そこで彼は、両親に内緒で妹のために向かいの靴屋から道具を借りてきて徹夜で白い靴を作り上げたのです。 イタリアでは当時、靴屋というのは底辺の仕事だととらえられる傾向がありました。。両親はサルヴァトーレが靴作りを学ぶことを反対しましたが、息子の異常なまでの才能を目の当たりにし、サルヴァトーレの靴作りの修行を許可しました。こうしてサルヴァトーレは、向かいの靴屋で靴作りの修行を始め、気がつけば1人で靴作りを手掛けるようになっていました。その後、彼は兄の友人たちの説得によってナポリに出ます。しかし、ナポリの有名靴店でもわずか2週間で全てのことを学び取ってしまい、店を離れることになります。 

洒落たデザインと良質な素材で評判に ❘サルヴァトーレ・フェラガモ

そして故郷に戻り、12歳にして自分の店を立ち上げることになったのです。 サルヴァトーレの作る靴は都会でも売っていないような洒落たデザインで、良質な素材を使ったとてもいいものだと一気に評判になりました。 村の店は大成功を収めており、サルヴァトーレも満足をしていましたが、一日に作れる靴は限られていました。それを見かねた兄がアメリカに一緒に来て、機械化をして靴の大量生産をしようと持ちかけました。こうして、アメリカに渡り機械を使った靴作りを決心したのです。 このときサルヴァトーレはまだ16歳。この歳にしてすでに自分の店を成功させ、単身でアメリカに渡ったということからも彼の飛び抜けた才能を垣間見ることができます。アメリカではサンタバーバラに店を出し、映画スターの御用達となり、ハリウッドに進出したことでサルヴァトーレ・フェラガモの名前はアメリカで一躍有名になります。 

靴屋になることを運命づけられていた男 ❘サルヴァトーレ・フェラガモ

サルヴァトーレ・フェラガモは、自分は靴屋になるために生まれてきたと考えていました。彼にはなぜか元々靴作りの知識が備わっていたといいます。 誰かに教えられたわけでもなく、初めて作った靴でさえ何かを思い出しながら作ったと言います。先祖には過去400年靴屋はいないにも関わらず、新しいスタイルや靴作りの基本的な工程が頭のなかに入っていたのです。 サルヴァトーレが学んだ靴作りというと、幼少期の向かいの靴屋の靴作りを見ていたことと、ナポリに行って学んだ2週間くらいです。10歳の時点で30歳の向かいの靴屋の店主ルイジ・フェスタよりも靴作りがうまくなり、わずか2週間でナポリ最大の靴屋で教えられたことを全て学んでしまうなど通常ではありえないことでした。 こうしたことからもサルヴァトーレ・フェラガモは靴屋としての前世を持ち、その記憶をたどりながら現代において完成を目指す存在だと思っていたのかもしれません。 

(参照:High-Brands.com https://high-brands.com/highbrand-brand.php?id=15&stid=94)

足に美しくフィットするサルヴァトーレ・フェラガモの靴

試した者を虜にする魔法のフィッティング ❘サルヴァトーレ・フェラガモ

サルヴァトーレ・フェラガモはより足にフィットする靴を追求するために、人体解剖学を学び、多くの人々の足と向き合い、革命的な靴型を開発しました。その靴型とは、土踏まずを支えることで、足が振り子を逆さまにしたような動きをするものです。 彼の長年の研究によって分かったことは、人が直立すると体重が足の土踏まずにかかるということです。 靴の採寸をするときには、足の長さや高さ、さらに幅が広いか細いか、土踏まずのアーチの高さ、甲の高さなどを測ります。そして作り始める時には親指の付け根やかかとをしっかりと支えるように作っていきます。土踏まずの空間は一見すると支える必要が無いように思われ、実際に裸足の場合だと土踏まずは地面についていないので、靴を履いていてもただの空間でよいはずと考えるのが一般的でした。しかし、ここでサルヴァトーレ・フェラガモは、「靴を履くことによって足の本来の機能が損なわれ、土踏まずで体重を支えるという機能が靴のせいで機能しなくなっているのでは?」という仮説を立てました。 この仮説にそって実験を繰り返し、土踏まずに支えが必要という結論に達し、これまでかかとと親指の付け根に全体重がかかっていたところを分散させ、歩行中の体のバランスをうまく保つ靴を作ることに成功したのです。 この彼のもたらした成果は、その後の靴作りの世界に大きな影響を与えました。

芸術的なデザインと独創的なアイデア ❘サルヴァトーレ・フェラガモ

サルヴァトーレは、フットウェア デザインを世界のトップレベルに押し上げました。最上級の技術によって完璧さを実現し、さらに形、素材、色彩の研究を通じて独自の分野を創造したことで、芸術とも呼べる作品を作り上げました。彼が特に注目したのは、靴のアッパーの表面加工で、色彩を活用したり、各種の高級な素材と粗悪な素材を逆説的に組み合わせたりすることで、予期しない効果を創造することでした。独創的なアイデアを実現するために、思いもよらない素材を代用し、表面加工の研究によって波型、グロス、ぼかし、プリーツ、光沢のある表面のような驚くような効果を導き出した点において、サルヴァトーレが持っていた革新的感覚は、同時代の他のデザイナーとは異なっていました。

(参照: Salvatore Ferragamo made in Italy, https://artsandculture.google.com/exhibit/made-in-italy-salvatore-ferragamo-s-ideas-models-and-inventions/jgKSSqxpWZsfIg)

ラグジュアリーブランド

サルヴァトーレ・フェラガモの歴史を飾った靴たち

ウェッジ靴 ❘サルヴァトーレ・フェラガモ

資材不足が蔓延していた1930年代のイタリア。サルヴァトーレ・フェラガモがサルディーニャ産のコルクを使用した靴を考案して以来、ウェッジヒールはフェラガモの1つのシグネチャーとなりました。ウェッジはずんぐりと大きく、まるで台座に足を乗せるかのようですが、がっしりとした重そうな見た目とは相反して、実際には羽のような軽さが特徴です。厳選された素材と緻密で芸術的なデザイン、そして確かなクラフツマンシップ。こうした創造性あふれる「発明」は、サルヴァトーレ フェラガモの代名詞ともいうべき職人技の結晶と言えるでしょう。

見えない靴 ❘サルヴァトーレ・フェラガモ

1947 年には、透明なナイロンを織って作った素材を使用して、アッパーを一連の模様で仕上げた作品が発表されました。これが「見えない」サンダルへとつながり、フェラガモはこれによってファッション界のオスカーとも称される「ニーマン マーカス賞」を受賞しました。

レインボー靴 ❘サルヴァトーレ・フェラガモ

圧倒的な存在感が示された、サルヴァトーレ・フェラガモの最も象徴的なクリエイションの1つである伝説の「レインボー」サンダルは、1938年に女優ジュディ・ガーランドのために作られました。七色のウェッジとゴールドのアッパーを持つスエード製のその魔法のサンダルはピュアな魅力を放ち、やがてその色遣いはフェラガモの「Inclusive(包摂的)なビジョン」を表現する代名詞となっていきます。

(参照:Ferragamo stories https://www.ferragamo.com/shop/jpn/ja/sf/ferragamo-glossary – groupW_Wedge)

現代のSalvatore Ferragamo ❘サルヴァトーレ・フェラガモ

子供たちによって展開を広げたSalvatore Ferragamo❘サルヴァトーレ・フェラガモ

サルヴァトーレ亡き後、1965年には長女フィアンマによる初のハンドバッグコレクションが開始、1970年にはメンズシューズとウェアも展開を開始し、次男のレオナルドによって拡大していきます。さらに3女フルヴィアによってシルクスカーフとタイがブランドを代表する製品として成長します。 現代のSalvatore Ferragamoを代表するシューズとなっている「ヴァラ」も1970年代にフィアンマによってデザインされたものです。 そして1998年にはルックス・オルテカとのアイウェアのライセンス契約を結びます。2001年にはフェラガモ・パルファムを設立し、香水事業にも乗り出し、2002年には初のスニーカーライン「Freedom」も発表します。 サルヴァトーレの夢をかなえるかのようにブランドSalvatore Ferragamoは徐々にビジネスを拡大し、ラグジュアリーブランドへの道を歩んでいきます。

伝統を継承し現代のスタイルを取り入れるデザイナーたち❘サルヴァトーレ・フェラガモ

 デザイナーという点では、2000年の秋冬からマーク・オディベがレディースデザインを手がけ、2003年の春夏からはアルマーニで経験を積んだグレエム・グレッグがデザイナーに就任しました。 その後クリスティーナ・オルティス、マッシミリアーノ・ジョルネッティ、フルヴィオ・リゴーニ、ギョーム・メイアンを経て、ウイメンズは2017年に、ポール・アンドリューがクリエイティブ・ディレクターに昇格しています。メンズのデザイン・ディレクターであるギョーム・メイアンはポールの指揮下ですべての商品カテゴリーの開発をコーディネートするスタジオディレクターを兼任することになりました。こうしてサルヴァトーレの意思と靴への情熱はその妻と子供に引き継がれ、そして才能ある新しいデザイナー達によって伝統を継承しながらも現代のSalvatore Ferragamoのスタイルに華麗に再解釈されているのです。 

(参照:Love to know, Salvatore Ferragamo, https://fashion-history.lovetoknow.com/fashion-clothing-industry/fashion-designers/salvatore-ferragamo)

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